日本全国名所巡りの旅



 旅先の説明板・愛媛

純信の恋文/愛媛133



純信の恋文


川之江の純信堂に、
夜でも読めるように照明燈つきで、
純信恋文が掲示してある。


その恋文は、

純信からうまへ」として、


『久しく遠々しく候。

 先づと先づとや
 御無事で御暮らしと推し参らせ候。

 しつむ此節、川之江
 寺子五・六十ばかり世話致し居り候。


 どうせそもじを
 連れに参り申すべくと存じ居り候えども
 なかなか国の諾承り候にむつかしき故、

 たとい何年かかりても連れに行き申すべく候。


 左様御承知下さるべく
 自分に参り申ささる時は、
 人をやり申すべき故、御待ち下さるべくもし、

 又それまでに嫁入りでもするか、
 又は心当たりの儀これあり候えば、

 きっと存じ寄り
 これあるべくかねて、御噂なし置き候。


 誠に去年以来そもしが事にて艱難致し候事。


 又よき便り御座候えば、
 川之江顔役夫婦 岩 亀吉 と申す者のところへ
 尋ね参り申すべく、

 須崎より久万の町へ参り候えば、
 よりより川之江へ二十里ばかり故、

 どうでもして是非是非
 まかり越しもうすへく、琴平で金を使い、

 そもしが参り候わば、
 売るなどいふ悪口に少しも御気ずかいなされまじく
 早く越し待ち参らせ候。


 光はあらあらかしこ 

    八月十九日 うま様 

        せんなり事 岡本要

とある。


尚、「岡本要」とは純信の本名。





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 旅先の説明板・愛媛

純信堂/愛媛132



純信堂

純信堂.JPG


よさこい節で有名な
竹林寺の僧侶・純信のお堂が川之江にある。


その説明板には、

土佐の高知の播磨屋橋で、
 坊さんカンザシ買うぞ見た、ヨサコイヨサコイ。


 この民謡の主人公は、
 高知市五色山竹林寺の僧・ 純信(本名岡本要)
 五台山麓、長江の鋳掛屋新平の娘お馬である。


 時は安政2年(1855)幕末騒然のときで、
 純信37才、お馬17才、
 法燈もえる五色山のロマンスである。


 二人は人目を忍ぶ恋中となり、
 純信はお馬の歓心を求めるため、
 城下の播磨屋橋で、カンザシを買うて与えた
 と云う評判が、世間に広がり、我が身にふりかかる。


 破戒僧の名広い高知も、恋ゆえせまく、
 二人は噂に堪えかねて、関所を抜けて讃岐に逃れ、
 金刀比羅一の坂の高知屋という旅宿に、
 隠れていたのを追手に捕らえられた。


 二人の恋も束の間、
 高知城下に引き戻され
 関所破りの罪で城下に晒しものにされた後、

 純信は藩外に、
 お馬は仁淀川以西に追放された。


 お国追放になった純信は、
 伊予の川之江に来て、この地の顔役
 娚石亀吉(本姓河村)のところで世話になり、
 寺子屋を開き5・60人を教えていた。


 この頃、土佐の画家・河田小竜という人が
 諸国漫遊の途、娚石亀吉を訪ねた時、

 旧知の信にあい、
 お馬宛ての手紙(悲愁の恋文)を托されたが、

 お馬に渡さず
 筺底に秘せられていたということである。


 こうして二人はついに結ばれず、
 この物語となったのである。』

とある。



 旅先の説明板・大分

宇佐八幡神輿の記念碑



宇佐八幡神輿の記念碑


宇佐八幡神輿の記念碑.JPG


宇佐神宮の境内にある
宇佐八幡神輿の記念碑は、
カラー写真入りの珍しい碑である。


説明板には、

『天平勝宝4年(752)、
 聖武天皇の進めた
 東大寺大仏造立事業が完成しました。
 

 八幡神は、
 この事業を支援したため、
 輿に乗って入京し完精間近の大仏を拝しました。


 これが神輿の起源とされています。


 宇佐八幡神輿フェスタは、
 1250年の時空を越えて、
 八幡神輿の大仏参拝を再現し、

 神仏習合神輿発祥の地である宇佐
 全国にアピールすることを目的に計画されました。


 2002年10月5日、
 児童、生徒を含む宇佐市民など約500人の行列が、
 宇佐八幡神輿を奉じて東大寺を参拝しました。


 多くの人々の協力によって、
 歴史に残る大事業が、
 見事に達成されたことをここに記します』

とある。


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