<大高坂松王丸>
南北朝時代、
大高坂松王丸は
大高坂城(現の高知城)の城主であった。
当時の土佐は北朝方が優勢だったが、
南朝方も大高坂松王丸を中心に頑張っていて、
両派の激しい戦いが続いていた。
1333年、
後醍醐天皇の皇子・花園宮満良親王が
武将を伴い入国したため、
南朝方は一時勢いを盛り返した。
そこで北朝方は
升形付近に砦を築き攻撃を開始した。
「佐伯文章」によると、
1340年に大高坂城は陥落、
大高坂松王丸も戦死したという。
1829年この付近で
戦死者を供養する古碑が出土した。
その近くに祠が作られ
大高坂神社として祀られていたが、
戦災により焼失、
後に久万の松熊神社に遷座した。

