<有島武郎の碑>
浜坂の 遠き砂丘の 中にして
佗びしき我を 見いでつるかな
武郎
この歌は、
大正12年4月下旬、
有島武郎が山陰講演旅行の帰途、
当地に泊まり、
その時世話を受けた客室係りに書き与えた。
温泉寺にも参詣し、
龍照法印が指頭で六字の名号
「南無阿弥陀仏」を書くことを聞き、
これを求めた後、
間もなく愛人と自殺を遂げたが、
この書は、それを暗示させる
彼の絶筆といってよいものであろう。
(蛇足)
この碑は、城崎の温泉寺の境内にある。
有島武郎(1878-1923)は小説家。
大正12年(1923)
軽井沢の別荘・浄月荘で
美貌の人妻・波多野秋子と心中した。
長男は俳優の森雅之である。
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