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日本全国名所巡りの旅
定年を迎え、気ままに日本各地の名所を巡っています。
カテゴリ
プロフィール
名前:Takahashi
一言:定年を迎え、
セカンドライフを満喫すべく
日本各地の名所を巡っています。
旅先の記憶を記録に残したく
ブログに綴っています。
リンク集
山辺の道探訪記
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御花>
御花は、
元禄10年(1697)に
4代藩主・
立花鑑虎公により、
別荘として建てられました。
当時この地名を
「
花畠」と呼んでいたことから
「
御花」と呼び慣わし、
屋号とされたものです。
庭園は
3,300u、
仙台松島の佳景を模して築造され、
明治41〜43年に大改修されました。
園内の松は約280本、
大部分は200年以上の古木、
庭石は約1500個、
石燈籠は14個、
大広間前の巨石は
旧天守閣の台石だと言われています。
また、10月〜3月にかけて、
数百羽の
野鴨が池に飛来し、風趣をそえます。
また、
西洋館は
資料展示室として、
歴代藩主着用の甲冑類が公開されています。
山辺の道探訪記
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出雲建雄神社拝殿>
出雲建雄神社拝殿は、
石上神宮の境内にありこれも国宝です。
これは
内山永久寺より移築されたもので、
この寺の現存する唯一の建物です。
大和に出雲の神社とは不思議に思いますが、
出雲で
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した
天羽羽斬剣(アマノハハギリノツルギ)と
八岐大蛇の尾から出た
天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)が奉納されたようです。
景行天皇の皇子・
倭武尊(ヤマトタケルノミコト)が
東国遠征のときに天叢雲剣を持って行かれ、
駿河の
焼津の草原で火責めにあったとき、
天叢雲剣で草を薙ぎ倒し難をのがれたので、
草薙剣(クサナギノツルギ)と改名し
熱田神宮に奉納したので、
出雲建雄神社は、草薙剣の分霊を祀っています。
モノノフ(武士)は
モノノベ(物部)より起こった言葉と云われるように、
物部氏は大和政権の軍事面を司どっていたので、
物部氏の氏神である
石上神宮は、
剣などの武具が沢山奉納されたようです。
桓武天皇が奈良から京都に遷都されるとき、
石上神宮の武具を京都に運ぶのに、
多くの人が動員されたと言われています。
山辺の道探訪記
<
御神体>
石上神宮の
櫓門をくぐると、
鎌倉中期に建立された
拝殿があります。
これは国宝、また、櫓門は重要文化財です。
ここは国宝と重要文化財のオンパレード。
有名な「
七支刀(ナナツノサヤノタチ)」も国宝。
なぜこの刀が石上神宮にあるのでしょうか。
もともとここは
河内の豪族・
物部氏の武器庫であったようです。
だから御神体も
「
布都御魂(フツノミタマ)」と云う剣です。
この剣は、
神武天皇が
大和を征服した時に使われたものです。
神武天皇は、
はじめ河内に上陸しましたが、戦いに敗れ、
しかたなく紀州から大和入りをしました。
その後、大和と河内の
和平交渉が成立したのではないでしょうか。
それで、河内の豪族・
物部氏が
大和に進出し、軍事・裁判・神官などを司どり、
大和政権の一翼を荷ったと思われます。
創建は祟神天皇7年で、
物部氏の総氏神と云われ、
大和神社とともに、我が国最古の神社です。
(蛇足)
祟神天皇の母は
物部伊香色謎命です。
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