日本全国名所巡りの旅


 旅先の説明板・高知

戦友の塔/高知82



戦友の塔


戦友の塔.jpg


戦友の塔の部隊とは、
第55師団(善通寺)の歩兵144連隊(高知)
を基幹とする「大本営」唯一の
直轄部隊である「南海支隊」のことで、

開戦初頭、グァムラバウル占領


陸軍南進の尖兵として南太平洋を駆け巡り、
昭和17年(1942)7月、東部ニューギニア上陸


大本営参謀・辻政信の独断で、
兵器・弾薬・食糧の補給のない作戦を強行したため、
そこに地獄の戦場が出現。


「敵に囲まれ、
 据え物斬りにあっている感じで、

 その悲惨さは、
 その後の戦いを観察しても
 最大のものであったとの感を禁じえない」

と第18軍参謀がいっている。


ジャワは天国、ビルマは地獄、
 生きて帰れぬニューギニア
」といわれた戦場。


昭和17年11月には堀井支隊長が戦死。


昭和18年1月には小田新支隊長も戦死。


二人もの支隊長を失い
南海支隊」は東部ニューギニアのギルワ壊滅した。



<蛇足>

南海支隊が、昭和17年(1942)1月23日、
ラバウルを占領した時点より、
ラバウルを中心に死闘3年

22万の陸海軍兵士の生命をつぎ込んだ
南太平洋の戦い」の幕開けとなったのである。


さらばラバウルよ また来るまでは 
 しばし別れの涙がにじむ 
 恋し懐かしあの島見れば 椰子の葉かげに十字星


だが、実際は
南十字星も戦火に煙り、椰子の葉も吹っ飛んでいた。





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 旅先の説明板・高知

四国カルスト/高知81



四国カルスト


四国カルスト.JPG


カルストとは、ドイツ語
石灰岩などの水に溶けやすい岩石が、
雨水などで浸食されて出来た地形をいい、
鍾乳洞なども含まれる。


四国カルストとは、
愛媛県高知県との県境の、
標高約1400m、東西約25kmに広がる
カルスト地形の山地をいう。


西から

大野ケ原、
五段高原、
姫鶴平、
天狗高原
まで、

なだらかな山肌には、
侵食作用で露出した石灰岩が点在し、
羊の群れのように見える。


また、
山口県の秋吉台
福岡県の平尾台と並んで

日本三大カルスト」の一つに
四国カルストは数えられている。






 旅先の説明板・高知

帯屋町/高知80



帯屋町


帯屋町は、
高知市内最大の繁華街
アーケードになっています。


よさこい祭」の本番では、
踊り子と観客が接近し盛り上がる
大迫力の会場となります。


町名の由来は、
江戸時代初期、豪商
帯屋勘助が住んでいたからです。


西端に高知城の南門や藩主の下屋敷があり
御屋敷筋」または
会所筋」とも言われました。


その後、町家はなくなり、

家老の
深尾家(佐川)、五藤家(安芸)の郭中屋敷
南会所(藩庁)

幕末に活躍した
吉田東洋の屋敷などがありました。


南会所跡には
武市瑞山殉節の地」のがあります。


<蛇足>

武市瑞山とは、土佐勤皇党の党主。

身長は2m近く。

鼻高く、色白で、
目は鋭い輝きがある美男子。


人柄も優れ、
彼に接する者は皆敬服したという
記録が残っている。


慶応元年(1865)切腹を命じられた。

享年37歳


辞世の句は

再びと 返らぬ歳を はかなくも 
   今は惜しまぬ 身となりにけり



その後、
中岡慎太郎ら一部の同志は脱藩


浪士となって
倒幕活動に走るのである。


なお、中岡慎太郎は、
坂本竜馬とともに京都で暗殺される。


武市瑞山關係文書 1 覆刻 (日本史籍協会叢書 137)


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