<戦友の塔>
戦友の塔の部隊とは、
第55師団(善通寺)の歩兵144連隊(高知)
を基幹とする「大本営」唯一の
直轄部隊である「南海支隊」のことで、
開戦初頭、グァム、ラバウルを占領。
陸軍南進の尖兵として南太平洋を駆け巡り、
昭和17年(1942)7月、東部ニューギニアに上陸。
大本営参謀・辻政信の独断で、
兵器・弾薬・食糧の補給のない作戦を強行したため、
そこに地獄の戦場が出現。
「敵に囲まれ、
据え物斬りにあっている感じで、
その悲惨さは、
その後の戦いを観察しても
最大のものであったとの感を禁じえない」
と第18軍参謀がいっている。
「ジャワは天国、ビルマは地獄、
生きて帰れぬニューギニア」といわれた戦場。
昭和17年11月には堀井支隊長が戦死。
昭和18年1月には小田新支隊長も戦死。
二人もの支隊長を失い
「南海支隊」は東部ニューギニアのギルワで壊滅した。
<蛇足>
南海支隊が、昭和17年(1942)1月23日、
ラバウルを占領した時点より、
ラバウルを中心に死闘3年、
22万の陸海軍兵士の生命をつぎ込んだ
「南太平洋の戦い」の幕開けとなったのである。
「さらばラバウルよ また来るまでは
しばし別れの涙がにじむ
恋し懐かしあの島見れば 椰子の葉かげに十字星」
だが、実際は
南十字星も戦火に煙り、椰子の葉も吹っ飛んでいた。
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