日本全国名所巡りの旅


投入堂の道探訪記

三朝橋/投入堂の道9



三朝橋


説明板の近くの河原から
湯が湧き出しておりました。

露天風呂になっていて無料です。
しかし、橋の上からまる見えです。

また、この橋が素晴らしい橋なので、
説明板を見てみますと
次のように書いてありました。


三朝橋架橋工事概要 

河川名 三徳川 
型式 鉄筋コンクリート木橋型連続桁橋 
橋長68.6m 有効幅員5.5m 
橋台 2基玉石コンクリート張石構造 
橋脚 6基鉄筋コンクリート造 
句欄 青御影石濃出仕上千鳥句欄

三朝温泉を象徴する「三朝橋」は、
地元の熱心な架橋運動により、
当時架橋建設の権威者であった
武田五一先生の細密な指導を受け、
1934年(昭和9年)に完成しました。

句欄は、
香川県産・島根県若桜町産・三朝町田代産の
青御影石で造られ、
左右に灯篭を配した純日本風の格調高い橋です。

また、
親柱にある三朝橋の文字は、
三朝に南苑寺を創建した、京都・相国寺派管長の
橋本独山師の筆蹟になるものです。



求道学舎再生―集合住宅に甦った武田五一の大正建築


投入堂の道探訪記

三朝温泉/投入堂の道8



三朝温泉


三朝温泉.jpg



せつかく三朝まで来たのだから、
三朝温泉に行って汗を流しました。

ラジウム温泉で有名な三朝温泉は
1164年に発見されたようです。

説明板には

むかしむかし、大久保左馬之祐ちゅう
源義朝の家来が主家再興の祈願をするため、
三徳山にお詣りになつた。

その途中、
ごっつい楠の根株に
年とった白い狼がおるのを見つけ
すぐに弓で討ってしまったが、
まてよ殺生はならんと思いなおし見逃してやんなはった。

そしたらその夜さ妙見菩薩が夢枕に立って、
お使いの白狼を助けてくれたお礼だと言って、
かの根株の下からは湯が湧き出ていると教えてくれた。

それからは、ずぅっと
三朝の湯はこんこんと湧いて
八百何十年にもなっとるちゅうこってす


と書いてありました。




投入堂の道探訪記

下山が大変/投入堂の道7



下山が大変


投入堂への道は、登りより下山が大変です。

後ろ向きに這ながら降りる所が多く、
坂道は滑る滑る尻餅を何回も搗くので、
スボンは泥だらけになります。

滑る時に手をついて
手の骨を折った人がいたそうです。

トレパン等に着替え登山靴がいいと思います。

登山靴や運動靴は許可になります。

それに膝がガクガクと震え、
帰ってから2・3日は
足の筋肉が痛くて座ることができません。

事務所に着くと、
下山時刻を記入タスキを返納して
登山は終わりです。

ここで寺の人が次のような話をしていました。

「大和の国の役小角という修行僧が、
修行の地を求めるため、
3枚のハスの花びらを空に投げると、
伊予の石鎚山・大和の大峰山・伯耆(ほうき)の三徳山に落ちました。

小角が三徳山に来て見ると、
嶮しい崖にがあいておりましたので、
お堂を建てようと思いましたが、
この場所で建てるのは難しいのでで建てました。

立派に完成したので、
蔵王権現を安置して放り投げると、
ぴったりと嶮しい崖の穴に入りました。

それで投入堂と呼んでいます」