日本全国名所巡りの旅


 旅先の説明板・京都

大楠公戦陣蹟の碑/京都166



大楠公戦陣蹟の碑


大楠公戦陣蹟の碑.JPG



この碑は詩仙堂の近くにあります。


建武3年(1336)足利尊氏
80万の大軍を率いて京都に進攻してきました。


それで楠正成は、
一旦京都から逃れ、
立て直してから京都奪回のため、
ここ一乗寺下り松を張ったのです。


一乗寺にあるこの碑は、
楠正成の陣所跡を示しています。


京都奪回は成功し、
足利尊氏は九州へ落延びました。


しかし、
再起を図ってまた京都に進攻します。


楠正成は神戸の湊川で敗れ、
後醍醐天皇吉野に逃れ、
南朝北朝分裂するのです。


楠木正成〈上〉 (中公文庫)

 旅先の説明板・京都

八大神社/京都165



八大神社


詩仙堂の近くに八大神社があります。


この八大神社に
宮本武蔵開悟の地」と書いてありました。


どのような悟りを開いたのでしょうか。


武蔵は吉岡一門の恨みを買って、
慶長9年(1604)
京都一乗寺下り松の決闘になるのですが、

下り松に行く途中、
神にすがりたく八大神社にお参りしました。


この時、武蔵は悟りを開いたのです。


侍の味方は他力ではない。

 侍の道には、たのむ神などない


と神仏に頼ろうとした自分の弱さこそが問題だと思い、

後に武蔵は

神仏は敬う、だが、神仏をたのまず

と書き残したそうです。


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タグ:八大神社

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宮本・吉岡、決闘之地の碑/京都164



宮本・吉岡、決闘之地の碑


宮本・吉岡、決闘之地の碑.JPG


詩仙堂の近くの一乗寺下り松
宮本・吉岡、決闘之地がありました。


一乗寺下り松は、慶長9年(1604)、
宮本武蔵と吉岡一門数十人が決闘した所です。


この決闘の原因は、
宮本武蔵が名門吉岡道場の門をたたき、

門弟との試合では、ことごとく退け、
最後に、当主の清十郎、弟の伝七朗
武蔵に挑むが、あえなく倒されました。


これにより
面目をつぶされた吉岡一門の恨みを買い、

清十郎の子・又七郎ら数十人の門人と、
この地で決闘になったのです。


この時の決闘では、
武蔵がたちまち又七郎を斬って、
驚く門人達の前を、
悠然と立ち去ったと云われています。


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