<石切劔箭神社発祥の由緒>
東大阪市にある石切劔箭神社の発祥は、
神武天皇即位の翌年、すなわち
神武紀元2年といい伝えられております。
御神祭は、
先代旧事記に記されている
饒速日(ニギハヤヒ)尊と、その御子の
可美真手(ウマシマテ)命の御二柱で、
私達日本の国の発祥にあたる
大和建国に御功績がありました。
そのはじめ饒速日尊は、
神武天皇の御東征に先立ち
天照大神から十種の瑞宝をさずかり
大和建国の任務を
天磐船(アマノイワフネ)に乗り
生駒山に天下りになりました。
ところが大和地方には、
長髄彦(ナガスネヒコ)を頭とする
先住士族が勢力を張っていましたが、
尊に帰順、
尊は長髄彦の妹
登美夜毘売(トミヤヒメ)をめとられ、
お生まれになったのが可美真手であり、
命御父のご遺訓を守り、
大和地方の治政に尽力、
又、天皇の儀衛と
御一族の物部氏を率いて建国に尽力され、
ご立派な御徳を有されたお方であります。
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