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日本全国名所巡りの旅
定年を迎え、気ままに日本各地の名所を巡っています。
カテゴリ
プロフィール
名前:Takahashi
一言:定年を迎え、
セカンドライフを満喫すべく
日本各地の名所を巡っています。
旅先の記憶を記録に残したく
ブログに綴っています。
リンク集
旅先の説明板・兵庫
<
四所神社 鎮座地 城崎町湯島>
古来、
四所神社と称せられ、
和銅元年(708)
当郷の住人・
日生下権守が神託によって創建し、
ついで養老元年(717)
たまたま当地方に巡錫、神前に参篭中の
沙門道智上人(
温泉寺開山)に託宣あって、
城崎温泉(
まんだら湯)が
発見されたと伝えられている。
なお、10月15日の秋祭り
「
城崎だんじり祭り」には
神輿の渡御、山車6台の供奉がある。
旅先の説明板・兵庫
<
城崎の御所の湯>
南北朝時代の歴史物語「
増鏡」に
文永4年(1222)
御堀河天皇の御姉・
安嘉門院が
入湯された記事がある。
御所の湯の名は、これに
由来する。
江戸時代、
西隣りに陣屋がおかれ
「
殿の湯」や「
鍵の湯」と
呼ばれた湯があったが、
明治になって
御所の湯に合せられた。
古風な民芸調の建物の中の湯槽には、
いつも清澄な湯があふれている。
『・・・・・
宿へ着くと
彼は飯よりもまず湯だった。
すぐ前の御所の湯というのに行く。
大理石で囲った湯槽の中は、
立って彼の乳まであった。
強い湯の香に彼は、
気分の和らぐのを覚えた・・・・』
「
暗夜行路」より
旅先の説明板・兵庫
<
桂小五郎潜居の宿>
元治元年(1864)7月
京都
蛤御門の変の後、
小五郎が身を隠していた宿
(当時、
松本屋)が「
つたや」である。
彼は出石の
広戸甚助・直蔵の助けで
但馬に落ちのび
出石に潜伏していた。
しかし、追手の追及厳しく、
9月には母と娘が営む当館に身を移している。
彼が隠れた部屋と
「
朝霧の 晴れ間はさらに 富士の山」と
墨書きされた
戸板は
大正14年(1925)の
北但大地震で焼失しているが、
ここに建つ記念碑は、
直蔵の息子
正蔵の尽力により
出石郡教育委員会が建てたものである。
昭和38年(1963)春、
司馬遼太郎は、「
竜馬がゆく」の
希望の章の取材と執筆のために
「
つたや」に滞在している。
往昔、当地は
但馬の国城崎郡湯島村といい、
畿内貴顕の
湯治場であった。
桂小五郎、
蛤御門の変ののち遁れて、
ここに潜み当館にて
主人母娘の世話を受けたという。
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