日本全国名所巡りの旅


 旅先の説明板・兵庫

四所神社 鎮座地 城崎町湯島/兵庫42



四所神社 鎮座地 城崎町湯島


四所神社.JPG


古来、四所神社と称せられ、
和銅元年(708)
当郷の住人・日生下権守が神託によって創建し、

ついで養老元年(717)
たまたま当地方に巡錫、神前に参篭中の
沙門道智上人(温泉寺開山)に託宣あって、

城崎温泉(まんだら湯)が
発見されたと伝えられている。


なお、10月15日の秋祭り
城崎だんじり祭り」には
神輿の渡御、山車6台の供奉がある。


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城崎の御所の湯/兵庫41



城崎の御所の湯


城崎の御所の湯.JPG


南北朝時代の歴史物語「増鏡」に
文永4年(1222)
御堀河天皇の御姉・安嘉門院
入湯された記事がある。


御所の湯の名は、これに由来する。


江戸時代、
西隣りに陣屋がおかれ
殿の湯」や「鍵の湯」と
呼ばれた湯があったが、
明治になって御所の湯に合せられた。


古風な民芸調の建物の中の湯槽には、
いつも清澄な湯があふれている。

『・・・・・宿へ着くと
彼は飯よりもまず湯だった。


すぐ前の御所の湯というのに行く。


大理石で囲った湯槽の中は、
立って彼の乳まであった。


強い湯の香に彼は、
気分の和らぐのを覚えた
・・・・』

      「暗夜行路」より


タグ:城崎

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桂小五郎潜居の宿/兵庫40



桂小五郎潜居の宿


桂小五郎潜居の宿.JPG


元治元年(1864)7月
京都蛤御門の変の後、
小五郎が身を隠していた宿
(当時、松本屋)が「つたや」である。


彼は出石の広戸甚助・直蔵の助けで
但馬に落ちのび出石に潜伏していた。


しかし、追手の追及厳しく、
9月には母と娘が営む当館に身を移している。


彼が隠れた部屋と
朝霧の 晴れ間はさらに 富士の山」と
墨書きされた戸板
大正14年(1925)の
北但大地震で焼失しているが、

ここに建つ記念碑は、
直蔵の息子正蔵の尽力により
出石郡教育委員会が建てたものである。


昭和38年(1963)春、
司馬遼太郎は、「竜馬がゆく」の
希望の章の取材と執筆のために
つたや」に滞在している。


往昔、当地は
但馬の国城崎郡湯島村といい、
畿内貴顕の湯治場であった。


桂小五郎蛤御門の変ののち遁れて、
ここに潜み当館にて
主人母娘の世話を受けたという。


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