日本全国名所巡りの旅


 旅先の説明板・石川

加賀藩文化村/石川14



加賀藩文化村


加賀藩文化村.jpg


加賀市加茂町にある「加賀藩文化村」は、
本丸御菓子御殿」と道路を挟んで隣接している。


加賀は食の宝庫であり、
また、工芸王国と呼ばれるほどの
多くの人間国宝を輩出した
高い文化が受け継がれた土地。


加賀百万石の伝統文化を受け継ぎ、
加賀の魅力に触れる「加賀藩文化村」とは、

加賀の地に華開いた食や工芸の伝統文化を
今に伝えるテーマパークである。


加賀藩文化村」の各施設は、
石川県の人間国宝全員の作品を
展示・販売する「郷土人間国宝館」、

5千種10万点の作品を展示した
世界最大の
折り紙ミュージアムの「日本折紙博物館」、

加賀の「うまいもの」を集めた
食の市場の「百万石城下町」、

加賀の伝統工芸品を集めた「加賀伝統工芸館」、

本格的な「そば」の専門店「そば処古九谷」、

庭園が美しく、
人気の加賀野菜を使用した
軽食の店「庭園喫茶・洞夢」などがある。


ただ、
日本折紙博物館」だけは、
本丸御菓子御殿」の二階にある。




 旅先の説明板・石川

世界最古の老舗旅館「法師」/石川13



世界最古の老舗旅館「法師」


世界最古の老舗旅館「法師」.jpg


小松島市の粟津温泉にある
老舗旅館「法師」は、開業1300年


世界で最も歴史ある温泉宿として
ギネスブック認定されている。


白山を開いた
泰澄(タイチョウ)大師の命に従い

初代の善五郎
粟津に湯治宿を養老2年(718)に開いた。


でも、この長い伝統の中でも
営業を停止したことがある。


戦争末期のこと、
旅館は兵器に使うネジの工場となり、

火鉢や鉄瓶までも供出し
日本号」と名付けた戦闘機まで献納した。


また、
広い「法師」の宿の立派な温泉は、
傷痍軍人の療養所ともなった。


今の当主は46代目


もてなし」という言葉は、
背伸びせずに、そのままを提供する
持て成し」という意味と説く。


まずは
一服の抹茶から、おもてなしが始まる。


素晴らしいお庭やお部屋は、
お掃除が行き届き、生花を心憎いばかりに配置。


物がなかった戦時を忘れず、
既にあるものの価値の
再発見することを心がける老舗旅館であった。


<蛇足>

泰澄大師とは、
奈良時代の修験道の僧で加賀の白山開山


泰澄大師が白山で修行中に
神のお告げにより温泉を掘り当て、
弟子の雅亮(ガリョウ)法師に湯守をまかせた。


これが
法師」と呼ばれる宿のはじまりである。


雅亮法師とは、
初めて大師を白山山頂まで案内した
樵夫・笹切源五郎の次男である。




 旅先の説明板・石川

安宅の弁慶像/石川12



安宅の弁慶像


京都比叡山の仏僧であったが
義経に心服して以来、
義経に仕え怪力無双の武名を挙げる。


平家滅亡後に義経は、
兄頼朝に追われ北陸道を流浪するが
弁慶も忠実に随行する。


当所「安宅の関」では
智力を尽くして主君を守り、
後に奥州の戦いでは、
主君の盾となり衣川館前で立ち往生を遂げたという。


(蛇足)

弁慶の生誕地は、和歌山県田辺市で、
熊野別当堪増の子と言われています。


幼少を鬼若丸といい、
比叡山に預けられますが、
あまりにも乱暴なので追い出されました。


それで鬼若は、
剃髪し武蔵坊弁慶と自ら名乗り、
五条大橋で千本の太刀を奪うと悲願を立てました。


999本まで集めて後1本のところで、
牛若丸に出会いますが帰り討ち
に会い、
それ以後は義経の家来になったのです。


弁慶の最後は、衣川の館で
無数の矢を受けて立ったまま死んだと言われています。


時に文治5年(1189)4月30日。

これを「弁慶の立往生」といいます。


その他に弁慶に因む言葉として
「内弁慶」
「弁慶の泣き所」
「弁慶の七つ道具」
「弁慶のギナタ読」
などがあります。


ギナタ読とは、
句読点の打ち間違いのことで、
弁慶がな、ぎなたを持って」と読むことです。