日本全国名所巡りの旅


 旅先の説明板・福井

越前竹人形の里/福井30



越前竹人形の里


越前竹人形の里.jpg


坂井市丸岡町にある
越前竹人形の里」は、
北陸自動車道丸岡IC下車約10分の所にある。


は植物の中でも最も成長が速く、
古来より良質の竹は
門松や地鎮祭に使われてきたが、
特に福井の竹良質である。


それで、
この地方では雪に閉ざされた冬には、
家の中で竹籠づくりが盛んであった。


このような歴史的背景から
竹の博物館
越前竹人形の里」が誕生したのである。


前身は師田黎明が創立した「白樹舎」。


竹細工職人が、それぞれ
作品を持ち込み販売したのが始まりである。


竹人形の始まりは、
廃材として出る竹を使い余技として、
たまたま作ったのが竹人形。


昭和27年(1952)のことであった。


竹人形のの毛は、
0.2mmの細さまで割り続ける職人の技


竹細工実習室では、
職人の指導の元、
竹人形を自分で作ることが出来きる。


また、食堂では、
竹の器で「笹うどん」を食することが出来て、
竹の効能に触れることが出来る。






タグ:越前竹人形

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一乗谷朝倉氏遺跡の散策/福井29



一乗谷朝倉氏遺跡の散策



一乗谷朝倉氏遺跡資料館から遊歩道を歩くと、
最初に一乗谷最大の寺院であった
西山光照寺跡」に多数の石仏や石塔があります。


ほどなく「安波賀春日神社」があります。


治暦4年(1068)の創建で、
朝倉氏の時代には歴代当主の崇敬をうけました。


この神社のすぐ近くに、谷が最も狭い地点があります。


ここに45t以上の巨石で、
高さ5m、幅18m、長さ20mの土塁が築かれ
城門」とされました。


公園センターを過ぎると、
平面復原地区」があります。


この地区には幹線道路が南北に走り、
西の山際には多くの寺院跡があり、
卒塔婆や墓地などが発見されています。


道路沿いには、
大甕を並べた紺屋をはじめ、
鋳物師、檜物師、刀研ぎ師などの職人の家や、
坪庭のある医者の家が建ち並び、
町屋を形成していました。


また、南陽寺跡庭園の近くに
澄んだ冷水が湧き出している「瓜割清水」があり、

湯殿跡庭園の近くには
5代義景の墓」があります。


ここから山道を登った山間に
英林塚」があります。


これは初代・孝景の墓で、
孝景は初めて一乗谷に築城し、
繁栄の基礎をつくりました。


山を降りると「中の御殿跡」があります。


これは5代義景の母・高徳院の館跡で、
土塁に囲まれていたようで、
山側には約2mの空濠があります。


道路の向いには「復原町並」があり、
塀に囲まれた武家屋敷や
庶民の町屋がリアルに再現されています。


なお、山城は、
海抜473mの一乗城山の頂上に築かれました。


大きな礎石がある千畳敷
土塁を巡らした観音屋敷
一の丸、二の丸、三の丸などの遺構が
尾根に沿って
500m余りにわたって現存しています。


その周りには
空堀,堀切、伏兵穴が多数残っています。




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一乗谷朝倉氏遺跡の庭園/福井28



一乗谷朝倉氏遺跡の庭園


平成3年(1991)に
一乗谷朝倉氏遺跡の庭園が
国の特別名所に指定されました。


その庭園とは、
諏訪館跡庭園
湯殿跡庭園
南陽寺跡庭園
館跡庭園
の4庭園です。


諏訪館
朝倉義景小少将」の館で、
その庭園は遺跡の中でも
最も規模の大きいものです。


中心の4m余りの巨石は、
滝石組をなしており、
全体に水平感と垂直感を基本にして
安定感のある構成になっております。


この石には
江戸時代末に彫り込まれた
3代貞景4代孝景の法名が残されています。


湯殿跡庭園は、
義景館跡を見下ろす高台にあり、
先ず荒々しい石組に驚かされます。


どの石も強い表情を持ち迫力があります。


他の庭園とは様式も感覚も異なり、
一乗谷で最も古い庭園とされています。


南陽寺
3代貞景が娘のために建立した尼寺で、
庭には石組と池泉跡が残っています。


ここは
将軍足利義昭を招いて
観桜の酒宴を催したところで、
美しい糸桜があったと伝えられています。


館跡庭園は、
5代義景が住んだ館跡の山際にあり、
洗練された石組に
京都との交流が偲ばれます。


一乗谷朝倉氏遺跡 甦る乱世の夢 日本の庭園美 (9) (日本の庭園美)