日本全国名所巡りの旅


 旅先の説明板・山梨

恵林寺/山梨2



恵林寺


恵林寺.jpg


減却心頭火自涼

(シントウメッキャクスレバ
    ヒモオノズカラスズシ)


で有名な恵林寺


快川和尚のこの言葉は、
県の文化財に指定されている
三門」に掛けられている。


天正10年(1582)、
武田氏を滅ぼした織田信長は、
恵林寺に押し寄せ、
この「三門」に快川和尚はじめ
百人の僧侶を閉じ込めて火責めにしたのである。


この時、
壮絶な最期を遂げた快川和尚が、
火炎の中で発した言葉だと云われている。


また、天正元年(1573)
53歳で亡くなった武田信玄の墓と、
徳川幕府老中の柳沢吉保の墓もある。


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躑躅ケ崎館跡/山梨1



躑躅ケ崎館跡


躑躅ケ崎館跡.jpg


躑躅ケ崎館跡は、
武田信玄の父・信虎
永正16年(1519)に
石和(イサワ)から、この地に
館を移したことから始まります。


その後、信玄勝頼
武田家当主の館として使われました。


そして武田家の滅びた後も
文禄年間(1592〜1596)に、
現在の甲府城が造られるまでの約70年にわたり、
政治・経済・文化の中心地として発展しました。


館は、一辺が約200m
正方形の主郭(現・武田神社)を中心に、
その周りに副郭が構成された平城形式のものです。


その周りには、
家臣の屋敷が建てられ、
南方一帯には格子状に整備された道路に沿って
城下町が開けていました。


これは戦国時代の大名の本拠地として、
第一級の規模と質を誇るものです。